続・楽しく更け往く夜


初めて聴いた。


初めて観た。


マスターがギターを弾き歌う姿を。



なんと言う曲だかは分からないけど、大気の振動が胸を奮わせて鳥肌が立った。




『うぬぅ、不覚やわいね・・・』

少しどころでない衝撃を受けた104氏は誰にともなく悔しさを滲ませ呟いた。





独奏は続いている。











納屋の中央にはボロボロのエレキギターが大きなアンプに(もた)(かか)る恰好で無造作に置かれていた。


ケースにすら収納されていない、それらはずしりと重い。


それらを運ぶのに大層難儀をした104氏である。



秋の涼しい夜長にも関わらず、104氏は汗をかきながら部屋に戻った。





マスターは優雅に葉巻を吹かしていた。





『頑固重いやわいね! アンプに繋がれたエレキギターだし!』

少し腹が立ったので104氏が文句を言う。






「お疲れさんだな」

口に葉巻を咥えたまま、紫煙を(くゆ)らせマスターが言った。


その手には吸い口を綺麗に(しつら)え、火が点けられた葉巻がある。



―――お前の分だけどいるか?―――

そう言いながら、葉巻を差し出してくる。



労働の対価みたいなものだろうか?





104氏がその葉巻を受け取り、先にマスターから学んだ嗜み方でそれを吹かし始める。


雨上がりの樹樹と土の薫りがして、(うま)い、と思った。



ふと、横に目をやると亭主も葉巻を吹かしている。



倫子さんの前にも綺麗に吸い口を設え、火が点けられた葉巻が囲炉裏縁(いろりぶち)に掛かるように置いてある。

倫子さんの表情には少しこの嗜好品に対する抵抗が(うかが)えるから、その形の良い唇にまだ葉巻は触れていないのであろう。




そんなことを104氏が観察し推察していると、マスターが葉巻を吹かしたまま演奏を始めたのである。




生演奏でエレキギターが鳴るのを初めて聴いた。


アンプから生えている幾つかの(つま)みを調整したマスターは、(おもむろ)に六本の弦を弾く。


身体に電気が流れた、そう104氏は感じた。


五臓六腑が胎動し、全身の毛が逆立つのを感じたのである。



大きく、甘く、伸びやかに(つむ)がれる音。



質量がなく、(すなわ)ち実体がない筈であるのに、その音は艶やかに力強く存在を誇示する。




揺蕩(たゆた)う紫煙を(はべ)らせたマスターは―――簡単なことだ―――と言わんばかりの表情でエレキギターを弾いている。





流暢にギターを(かな)で、忠孝を嚥下(えんか)し、気儘に歌う。



ギターの音色と同質にも感じられる艶やかな声はどこまでも酒精を含んで、どうしてこうまで伸びやかなのだろう。



一頻(ひとしきり)歌うと、葉巻を燻らせながら一頻ギターの独奏、そしてまた気儘に歌う。




ソウルフル、魂が燃えていた。



誰もが圧倒された。


三人しか観客のいない極上のライブだった。




何処の国の誰が作った曲であるのかさえ知らぬのに、ここまで感動を覚えたことに感動した104氏である。




「研ぎ澄まされた感性か・・・相も変わらず研ぎ極められた抜身の刀のような(オトコ)じゃのぅ」

ぽつり、亭主が呟くのを隣で104氏は聞いた。




『こんなにギターが上手で、歌が上手いとは知らなんだやわいね!』

大きな声で亭主に言葉を掛ける104氏である。






そこで104氏は、ふと倫子さんに視線を向ける。

























―――あぁ、美しい美術彫刻のようだ―――そう104氏は思った。


(まばた)きも忘れたかのように、微動だにせず、時間を止めたように固まった倫子さんが映った。


その様子は・・・・・呼吸すら忘れているかのようだ。






『倫子さーん、倫子さんってば! 大丈夫やわいね?』

その様子についぞ、心配になって104氏が倫子さんを呼ぶ。





呼びかけに反応がないので、104氏が倫子さんの肩を、ぽん、と叩いた。





「あ、104氏さん、どうしました?」

彼岸から今帰還したというような感じで倫子さんが我に帰った。









―――――この曲、大好きな曲なんです―――――

<Forever>という曲名しか知らないんですけれど、と倫子さんが言った。




そう言われて、改めてマスターの独演に耳を傾ける104氏。




「ストラトなんとか、とかいう欧羅巴(ヨーロッパ)音楽家(アーティスト)の曲だとか言っておったのぅ」

104氏が耳を傾ける仕草が目に入ったのか、亭主が会話に加わってきて言った。






大気が細かに物凄い速さで振動する、人間の発する声とは思えぬ歌声。

それと同質なギターの音色、その二つが共振し合い、脳が、血液が、細胞が直接揺さ振られるかのようだ。








そう感じながら、104氏は―――あぁ、心は細胞に組込まれ等分に身体中に散らばって存在するのだ―――と思った。











意識は凄まじく覚醒し、心臓が血液を強く送り出す為の伸縮までが認識出来るかのようだ。

それなのに、ぼぅ、っとする。



マスターから熱波が放射状に発せられている。





―――ふぅ、このままでは逆上(のぼ)せてしまう―――、104氏がそう思った時、演奏が止んだ。
































「この忠孝(ちゅうこう)は本当に旨い、そしてこの葉巻(シガー)も絶品だ」

―――少し休憩だ―――


忠孝を旨そうに嚥下し、葉巻の紫煙を深く吸いマスターが言った。














「Forever って曲ですよね?」

倫子さんがマスターに聞いた。


















―――よく御存知でしたね―――

「日本ではまだ馴染(なじみ)が薄いんですが、ヘルシンキ出身のストラトヴァリウスというバンドの曲です」


マスターが意外そうに答えた。


―――好い曲でしょう?―――

葉巻(シガー)にはやっぱり馴染めないかな?」

マスターは、優しく笑いながら倫子さんに声を掛ける。








『結構イケる味わいやわいね』

104氏が蜿蜒(えんえん)と紫煙を吐き連ねながら言った。














―――阿呆ぅ―――

「コイツみたいに安直(すぐ)に手を出した(あかつき)に軽々しく旨いなどと言われると少し腹も立つんですがね」

―――でも、これは本当に旨いですね―――

倫子さんにではなく亭主に向けマスターが言った。














「阿呆ぅ、熟成させるのにどれだけの歳月が費やされるか知っておるだろう?」

―――出会いは普通、別れは特別じゃての―――

手に持った葉巻の灰になった部分を見詰(みつめ)ながら亭主が言った。



















―――忠孝との相性も素晴らしい―――

「こんな夜に身を焦がせるならこの葉巻たちも本望でしょう?」

マスターがそう言う。












「またお前は・・・解ったようなことを言うでないわ」

亭主は可可と笑い、―――まぁ惜しくはないぞな―――、と言った。





―――そうでしょう―――にっ、と笑いマスターがギターのチューニングを調整する。

そうしてから―――リクエストはありますか?―――と倫子さんに問いかけた。






「えっ? なんでもいいんですか? 洋楽とかあまり詳しくないのですけれど・・・」

倫子さんも逆上(のぼ)せているのだろうか?

その白い(ほほ)を紅く上気させて彼女は言った。










「邦楽でも大丈夫ですよ。 毎日有線から垂れ流される作品達に洋の邦のカテゴライズは在りませんからね」

楽しそうに倫子さんを見つめてマスターがそう言った。

そうして、更に倫子さんは紅くなった。







「では、Coccoの・・・強く儚い者たち・・・が聴きたいです」

紅くなったまま、遠慮がちに倫子さんが言った。





















「畏まりました、姫」

倫子さんの瞳を見つめたまま、紗羅(さら)りとマスターが言った。

洒落(しゃれ)の利いた了解の仕方が妙に様になっていた。


















演奏が始まった。



力強く、ギターを切なげに甘く鳴らせて・・・・・。



今年ヒットしたCoccoのこの曲を104氏も知っている。



漆黒の瞳に揺れる囲炉裏の炎を映して歌うマスター。




―――艶があるやわいね―――

そう呟きながら、何故己の内面に悔しさが滲むのかを104氏は知ったのである。










































―――うぬぅ!―――

意味不明な言葉を吐き出し、忠孝を煽ぎ呑んだ104氏の視界の淵に、形の良い唇に葉巻を()てようとする倫子さんが見えた。



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