続・下呂


『でも何故にこんな場所なの?』


「ひとつひとつ自分の居場所をつくればいい」


『何を言うてるやわいね?』


「ワインでもウィスキーでも熟成させるなら初めに下準備をするだろう?」


「下準備には苦労する必要があるんだよ」


億劫そうにそう言いいながらマスターは長い髪が邪魔になるのか器用に手拭を頭に巻いている。


『粋な姿であるけれども意味不明なお言葉やわいね』



「さてともう少ししたら宿に入るか」

『おぉ、用意がいいやわいね。  大人の予約準備やわいね』


「なんだそれは?  予約なんて必要ないんだよ」



頭に手拭を巻いた裸のまま風呂縁の石に腰掛け可々と笑う。



「やっぱり、もう少し長湯するか・・・」

そう呟いたマスターが屁理屈大論を語りだした。


素敵なモノや場所を出来るだけたくさん集めなさい。

それは一朝一夕にして素敵足り得ず、時間の流れに磨かれて初めて素敵に煌めくものだ。

このときにどれだけ素敵なモノや場所に囲まれて己が存在するか?

それは過去如何に早い段階で素敵足り得るモノや場所に思いをよせたかによる。

ただし、思いをよせて完了ではない。

重要なことは思いをよせ続けることである。

連続的でなくてもよい、忘れていてもよい、たまには必ず思い出してよせるのだ。

これを断続的思いよせと言う。

そしてこれがモノの上手、場所の上手、素敵なモノ、場所に己が囲まれる必須条件である。

そして、いつまで経っても素敵足り得るものを発見するのに遅過ぎるということはない。


好きなだけ勝手なことを語ったマスターが立ち上がり言い切る。



「さぁ、宿に行くぞ!」



手拭頭巻き巻き人間となっているマスターは

いつも不機嫌そうに仏頂面をしているくせに今日はなかなか機嫌が麗しい様子である。

立ち上がった裸体は

1間を軽く超える長身に、肌理細やでかなしなるようなボディ。

大きな瞳はあと一寸大き過ぎただけで顔立ちのバランスを崩してしまうのではないか?と思わせる。

その中には漆黒と表現するに躊躇を感じない黒目がある。

少し鷲鼻がかった鼻梁は目許をはじめとする顔立ち全体を彫深くしている。


乙女に生まれていたのならば・・・かなりの美人艶人であったであろうことは想像に難くない。

かなり気は強そうであるのだけれども。



そんななかなかお目にかかれない代物が頭髪だけを手拭で隠していでゆ大橋下にいる。





もちろん橋の上の一般大衆からは丸見えなのである。


少し遠目に見る橋の上には男女の区別なく明らかにこの手拭男を観察している大衆が見てとれる。


『あぁ、遠目にすれば女性に見えぬこともないじ』

助平心を注いでマスターを注視する橋上の野郎どもに104氏は滑稽な憐れみを感じて呟いた。


『しかし野郎どもに間切れて可憐、美貌備え持つ乙女たちが黄色い声を上げているのは是如何に??!』




手拭男はそんな外野の声など聞こえぬ、注視されることなど厭わぬという態度がふてぶてしい。


「さぁ、行こうか」



すぐそこだからと言いながらマスターが携帯を取り出す。


「俺です。 いでゆ大橋下の噴泉池にいるんですけど・・・えぇ連れと二人です・・・お任せします」



「さ、カラダも乾いたし、荒熱もとれた、バイクで乗り付けるのも風情が殺がれるから軽く押して行くぞ」



『うぬぅ、俺はカラダが乾いてないし熱もとれてないやわいよ!』



104氏の抗議も空しく、マスターは着替えを終えてしまった。



単車を押しながら夕暮れには少し早い街路を歩く。



暑くもなく寒くもない。


「単気筒車や二気筒車には風情があると思わないか?」

ふとマスターが話し出した。


「これがマルチシリンダーになると興醒めなんだ、4発も3発も風情がない」


適当な相槌を打ちながら、四半時間も歩いて行くと入母屋造りの屋敷が見えてきた。


「今日の宿はあれだ」


入母屋屋敷に近づいていくと着物を纏った紳士が玄関先に打ち水を施している。


その様子を確認してマスターが歩みをとめた。


『どうしたやわいね? あれは主人? 疲れたし早く挨拶に行きまっし!』


104氏の言葉を無視してマスターはOMC−SRの荷造から黒い箱を引っ張り出した。


『それは何やじ?』


104氏がそう尋ねる。


「ヒュミドールだ。 打ち水が打ち終わる前のあれには入れないからな」


『ヒュミドール? この季節の打ち水に何の意味があるやわいね??』


「ツーリングにきて質問ばかりするな」


そう言いながらマスターは104氏に

茶道において三露として初水・中水・立水、露地の打ち水が季節とは関係がないこと。

亭主は客人を招く準備がすべて完了した時点で玄関に打ち水を施すこと。

もてなしを受ける側は玄関先が濡れていることを確認した上で中に入ること。

を教えてくれた。


「もてなしの心得があるならばもてなされる心得もあってしかるべきだろう?」


「亭主は打ち水中だ、だから暫しその心得を観楽しようじゃないか」


ヒュミドールというのは葉巻の保管ケースのことだとマスターが教えてくれた。

通常のそれには加湿機能が付いているという。

マスターのヒュミドールも例外ではなかった。


「葉巻は低温高湿が基本なんだ、湿度75%で長年熟成させたバルダガスのショートだ」

そう言うやいなやマスターは極々小振りのナイフをポケットから取り出した。


「ナイフで吸い口を切るのは邪道だという輩がいるけどな・・・」

そう言いながら葉巻に刃を当てている。


「切れ味が重要なんだというなら、俺が砥ぐこれに勝るギロチンなんかありゃしないのさ」

そう独りごちて切り仕上がった葉巻をポケットから出したターボライターで焙っていく。

手慣れた仕草である。

なんとも言えぬ薫りがたゆたい始めた頃合いでそれを104氏に差し出してくる。



『おぉ、葉巻なんて初めて見たやわいね? 旨いのん?』


ニッと嗤うマスターの顔は嬉しそうだった。


104氏に渡したモノと同じ葉巻をもうひとつ作りターボライターの熱源に翳している。



その横で104氏が噎せ始めた・・・。



「おいおい、煙草とは嗜み方が違うんだ」


『そうなん?』

涙目になりながら104氏が教えを乞う。



「ストローでドリンクを口に含むように咥内だけで嗜むんだよ」


そう言いながら葉巻を燻らせる。

なんとも画になる仕草である。


それを見様見真似で104氏が倣う。


『なんというか・・・湿った森の土っぽい味やわいねぇ』


「そんなもの食ったことがあるのか?」


『いや、ないけれどもね・・・この味は何と表現すればいいじ?』


「ウマい!と表現すればいいだろう?」



『ふわふわと身の回りをたゆたう煙が不思議な感じやわいね』


「この感じが煙草とは違うんだ」


葉巻は煙草と違い添加物を含まない。

燻るやわらかな煙を口に含むと口内壁よりニコチンが吸収され穏やかに脳へ達する。


土、珈琲、香辛料、ものによってはバニラやチョコの薫りを有する。


マスターの蘊蓄を聞いているうちにふとやはり日常が逃げていくのを感じる。


紫煙が意思を持つかのようにマスターの周りをたゆたっている。


不思議な光景だなぁ・・・と思い思い


煙をもくもくと吐き出しなんとなく葉巻のウマさが解った気に104氏がなっていると・・・



「邪気払いは終わったよ」

そう言いながら宿の亭主がこちらににっこり微笑んでいる。



「邪気なんて纏ってませんよ」

マスターがそう返事をした。



「ま、お入りなさい」


「そうですね。 お邪魔しますよ」


『この葉巻はどうすればいいのん?』


「吸わなきゃ火が消える仕組みだからお部屋へ持っておゆきなさい」


優しい声で亭主がそう言った。


そしてマスターの方へ向き直り

「いつもの奥間をお使いなさい」

そう言いながら先導を始めてくれた。



木造板張りの磨きこまれた廊下をしゅしゅと歩く。


初めの突き当りを右に折れ、次の突き当りを左に折れ歩く。


ほどなくすると中庭を切り取るように廊下が部屋を囲んでいた。



「着物を床の間に用意しておいたから好きなものを着るといい」

亭主が穏やかな声でそう言って床の間へ手を向けた。


「えぇ、遠慮なく」

マスターがそう答える。


『もの凄いお部屋やわいね・・・お庭と廊下とお部屋を区切る壁がないやわいね!』

104氏は感嘆の声を上げる。


「御前さんがお連れさんを伴ってくるとは久方振り、さてさてどんな夕餉を用意させていただこうかの?」

亭主が可可と笑いながらマスターに聞いている。


「お任せしますよ。 リクエストをしてしまうと美味しいモノを食い損ないますからね」

マスターが着物を選びながらそう答えた。


「うん、この瑠璃雀色の着物をお借りします」

そう言うやいなや、ぱさっと音がしたかと思うとマスターは着替えを始めてしまった。


「お連れさんはどれにしますかの?」

亭主が104氏に聞いてくれた。


『うむ、着物の見方がわからんちんやわいね・・・どれがよろしいのん?』

104氏が少し困惑して亭主に言葉を返す。


「そうですな、少し季節を外しますが甚六のお伴なればこの空色なぞ如何なものかな?」

亭主が可可と笑いながら言った言葉が終らないうちに、

「誰が甚六なんです? 俺は至極真っ当に働いて清く正しく生きてますよ」

マスターが日頃ついぞ見ることのないやや困り顔で亭主に顔を向け帯を締めていた。



『うん、ではこの空色の着物をお借りするやわいね』

そう言ってみた104氏であるが着物の着方が全然わからない。


「おやおや、昔昔の誰かさんのようだね」

亭主がまたまた可可と笑う。


「俺は一回で着方を覚えましたけどね」

マスターがやや困り顔のまま口を開く。


「あぁ、確かに御前さんは着付けが出来るのは早かったのぅ」

喋りながらも着々と亭主は104氏に着物を着付けていく。


とても104氏には一回で覚えられるような手際ではない。


「ほれ、完成したよ」

亭主がそう言い、104氏の締め帯をぽんっと敲いた。


『あ、ありがとうやわいね』


「今日は忙しい方ですか? ま、割とお暇なんでしょうけれど」

マスターがふと亭主に聞く。


「なになに、御前さんたちの他に女性の客人が一組おるだけだよ」

ちょうどいましがた庭を散歩しているんじゃなかろうか、と亭主が言う。


「やっぱりお暇なわけだ。 もっと商売に欲を出したらどうです?」

マスターがニッと笑い亭主に言った。


「そういうのは好かん、だいたいいつぷらっと寄るかわからん甚六が宿をとれなくなるのは可哀相じゃての」

亭主はそう言って可可大笑した。



「だから俺は至極真っ当に働いてますって。 さて俺も庭を散歩してくるか」

そう言いながらマスターが下駄を引っ掛け縁側より庭に降りる。


104氏は旅路の緊張と疲れを存分に感じていた。

『いってらっしゃいやわいね。 少しお部屋で休憩させてもらうやわいね』



だらしがねぇなぁ・・・と呟いてマスターは庭に消えた。


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