夕餉


「うん、コイツを連れてなきゃもうちっと雅な風情が味わえるんだけどね」


毒気を抜いた爽やかな笑顔で104氏を指しながらマスターが答えている。


いい薫りのする麦酒が入ったグラスに口をつけながら。






「そんなこと言ったら可哀想じゃないですかぁ」


まったく可哀想と思っていなさそうな嬌声があがる。









夕餉を得ようと、マスターと104氏は入母屋屋敷宿に向け苔を踏んだのである。




その帰路で女の人に出会った二人である。







それは入母屋屋敷宿が目前に確認出来、素敵な夕餉を予想させる薫りを鼻腔に覚える辺りであった。



日が暮れていく薄闇の中にあってはっきりと透明感のある薄栗色髪がはっきりと判った。


その柔らかな髪をお団子にして結えている。


少しこめかみと額にかかる前髪が振り返りざまにふわりふわりと優しく揺れた。


歳の読めない人であった。



そしてなんとも好いニホイのする人であった。



『好いニホイやわいねぇ』


そう無意識に呟いた104氏の声は当人には聞こえずであったろうと思われる。




「NINA RICCIのレベルドリッチと紅い浴衣の組み合わせとは素敵ですね」


意識して毒気を殺したであろうマスターの声は確実に当人に聞こえた筈である。




浴衣の乙女は少し驚きはにかみながら


「ありがとうございます」


と言ったのである。




驚きに細身の柔らかな眉の下の大きな二重瞼を大きくし、恥ずかしそうに色白な頬を紅く染めている。




「うん、ラナンキュラスの花のようだ」


それを見て、恥ずかしい台詞を恥ずかしげもなく口にするマスターである。




『何をカッコつけちょるやわいね、いい歳して笑われるやわいよ!』


先にその台詞の恥ずかしさに耐えきれなくなった104氏がマスターに向かって言葉を投げつける。




「ラナンキュラスの花言葉は、”貴方は魅力に満ちている”なんですよ」


そんな104氏に構わずマスターが言葉を紡ぐ。




見る見る浴衣の乙女は真っ紅になった。




口に手を当て言葉を失っている様子である。




『女の人をからかうのは良くないやわいね! 失礼やじ!』


104氏が見るに見かねてマスターを非難する。




「阿呆ぅ、失礼なのはお前だよ。 世辞を言ってるんじゃないんだから俺は」


マスターは104氏にそう言ったのだが、その言葉を聞いて更に浴衣の乙女は紅くなる。




口元に当てたその手さえも紅く色づいている。




髪と同色系の大きな薄茶色の瞳も熱を持って濡れているようだ。




「ここの亭主は破天荒法師なんですが、あれでいてなかなか人の持て成しと料理の腕だけは上手なんですよ、


もしよろしかったら夕餉を御一緒しませんか?」


そう言ったあとマスターは得意のニッとした笑みを浮かべた。




誘われた浴衣の乙女は固まったまま動かない。


いや、動けないのだろう。


このマスターほど臆面もなく言葉を吐き出す人間などそう類を見るものではないだろうから。


そして、その容姿も類を見ることがない。


日頃テレビの中で御都合主義的恋愛物語を演じる俳優と比較しても明らかに造形美的に優れているのが分かるのである。


この様な人間離れしたものに誘われれば誰だって固まってしまうだろう。






マスターはその乙女の様子を大きな漆黒の瞳で見つめている。




確かにマスターが男前なことは認めるが


こんなことで女の人が誘いに乗ってくるのなら世の男達は苦悩しないやわいね、と104氏は思った。


この透明感のある薄栗色髪と瞳の乙女は104氏の予想では簡単に男性の誘いに乗りそうな人には見えなかったのである。





そんななか、つい、とマスターが手を差し出した。


眼差しは乙女に向けられたままである。





104氏がそろそろ乙女の断わりの言葉を予想した刹那それは起こった。





「はい。」





余所見をしていた104氏はすぐにはその言葉の意味が知れなくて、へっ?と間抜けな声を出し乙女に注意を向け直した。




そこで104氏が見たものは、可愛げにほんのり紅く染まった乙女がマスターの手をとる光景であった。





「じゃ、いこうか」




凛凛しい美男が可愛らしい乙女をエスコートするように歩く。


その後ろを104氏がついていく。


何故に?どうしてん?ぶつぶつ呟きながら104氏は首を傾げながら歩いていた。






そうして囲炉裏のあるこの部屋で三人での夕餉が始まったのである。



トップページへもどる    目次へもどる