小町




―――いらっしゃいまし―――

やわらかく結い上げた髪が色温度の低い灯りに照らされ、ふわりと揺れる。

暖かな雰囲気がゆるりと漂う空間が心地好い。

その心地好さを演出するのに一役買っているのは、不思議なカタチをした白熱灯である。

有機的なろうそくの炎を思わせるこの白熱灯はついぞ聞いたことの無いメーカーの製品であり、それはマスターの手により据え付けが行われた。


『小町』。


岐阜市街の喧騒を逃れ、郊外にひっそりと息をするこの店が誕生してから今日でちょうど1ヵ月が経った。




―――外は寒いやわいね、倫子さん―――

104氏が首に巻いたマフラーを外しながら玄関の引き戸を開け入店してきた。



104氏はぐるりと店内を見回し、カウンターに腰を落ち着けた。



―――マスターはまだ来ちょらへんやわいね? いっつも時間にルーズなんよ―――

待ち合わせの人、マスターが見当たらない事にチェアをくるくる回しながら104氏が文句を言った。





―――なにかとお忙しいみたいですよ、先ほど少し遅れると連絡が入りましたから―――

倫子さんがコルク製のコースターを104氏の前に敷きながら答えた。




―――うぬぅ! またしても俺には遅刻の報告がないんやわいね、いっつも待ち惚けやじ―――

よなよなエールを倫子さんへオーダーし、ぷつぷつとマスターへの文句を垂れる104氏である。



―――まぁ、羨ましい関係ですわ―――

どこらへんが羨ましい部分であるのか皆目解らない倫子さんの台詞が104氏に(ほう)られる。

目の前には白熱灯同様、不思議なカタチをしたタンブラーが()かれ、これにしなりとした倫子さんの作法でよなよなエールが注がれる。

有機的な照明に照らされたよなよなエールの発泡達が楽しげにタンブラーの底から立ち上がり、ふわふわと広がる上面へ舞い踊る。



104氏は鼻の頭をよなよなエールの芳醇な泡につけ、その下に広がるオレンジアンバーの液体を嚥下した。





鼻腔に抜けるカスケードホップと柑橘系の薫りに深い愉悦を感じ始めた頃合いを見計らったかのように玄関が開けられた。











前開きにしたグレーのロングコート、テーラーメイドされたであろうグレーのスーツは嫌味なほど引き締まった身体にジャストフィットしている。

雪道を歩いたであろうその靴には、いっさいの汚れが見当たらず黒々と光っている。










―――おいおい、今日の主役はお前じゃないだろう―――

マスターは倫子さんへ爽やかにこんばんは、と挨拶した後、そう呟き104氏の左隣のチェアについと座った。



―――遅刻やわいね!―――

104氏が不躾に言葉を抛った。

どうしていっつもいっつも他人様を待たせるんやね?

親の顔が見てみたいもんやわいね!

日頃の仕返しとばかりに104氏がぷつぷつマスターに言葉を抛る。


―――阿呆(あほ)ぅ、親なんかいないんだよ―――

喋り続けようとする104氏を、そんなマスターの言葉が黙り込ませた。


―――へっ?―――

間抜けな表情のまま二の句と言わず三の句、四の句を失う104氏。



―――主役を差し置いてお前みたいなクレソンが五月蝿くしてんじゃねーよ―――

余裕過剰といった、いつもの調子のまま言葉を捨て置き、マスターは整った顔を倫子さんに向けた。



―――想像したとおりの結果でしょう?―――

にっ、と得意の表情でマスターは笑った。



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